すべての人々の健康を増進し保護するため、互いに他の国々と協力することを目的として、1948年4月に世界保健機関World Health Organization:WHO)が設立されました。その際に掲げられたWHO憲章における健康の定義では「Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.(健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態(well-being)にあることをいう)」とされました。この考え方は、のちに精神科医ジョージ・エンゲルによって提唱された「生物心理社会モデル」の基礎となり、現在でも広く受け入れられています。
折れない心身を育む~レジリエンス医学入門~
CASE2 ホリスティックな健康観

「健康とは何か、あるいはどういう状態を指すのか」については古今東西さまざまな議論がされてきましたが、前回も述べたように、ご自身の状態や置かれた環境をどう捉えるかの違いによって、100人いれば100通りの健康観があっても良いはずです。ただしそれは、さまざまな情報をもとに自分なりにしっかり考えたうえで自ら納得できるような健康観であるべきで、けっして独りよがりであってはいけません。さらに大事なのは、自身の健康を人任せにせず、自ら判断し選択するということです。もし、どうしても自分では判断できない場合に誰かに委ねるにしても、他者に委ねること自体を、自分の意思で選択することが大切です。自分の人生を主体的に生きるという決意は、ときに人を大きな変容に導きます。さて、このように考えてみると、病気になることには大切な役割があるように思えます。なぜなら、病気になったときこそが、自身の健康について抜本的に見直す絶好のチャンスだからです。誤解を恐れずに申し上げれば、私たちは病気になって初めて、真の健康を手に入れられるのかもしれません。今回は「ホリスティックな健康観」について述べますが、皆さまがご自身の健康観について改めて考える際に少しでも参考になりましたら幸甚です。
WHO憲章・健康の定義改訂の動きにみる新しい健康観
さて、WHOの設立から約50年ののち、健康の定義についての改正案が出されました。それは以下のように、1948年の定義に2つの言葉が追記された案でした。その2つの言葉とは、
〝dynamic〞と〝spiritual〞です。
「Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.」
1つ目の〝dynamic〞は「動的な」という意味で、健康と病気はそれぞれ対極に位置する概念ではなく、それらは動的に繋がっている(連続している)、ということを表します。わかりやすく言えば、私たちは突然病気になるのではなく、病気の芽のようなものが少しずつ大きくなって、ある時点で病気と診断される、ということです。このように〝dynamic〞は概念として比較的わかりやすいのですが、問題は2つ目の〝spiritual〞です。〝spiritual〞を日本語でどう訳すかについては、これまでさまざまな議論がされてきました。たとえば、「霊」「魂」「霊性」「命」「人間の尊厳」などの訳語が検討されましたが、いまだに統一見解は得られていません。日本語の「霊」「魂」という言葉には、文脈によってはどうしても宗教的なニュアンスがつきまとってしまうため、あらぬ誤解を避ける意味から「スピリチュアル」「スピリット」などとカタカナで表記されることも多いようです。WHO憲章における健康の定義の改正案は、未だに案として留まっており改正には至っていませんが、いずれにしても、ボディ・マインド・スピリット三位一体の健康観についてWHOで議論されたこと自体が意味のあることであり、私たちが健康について考える上での大きなヒントになります。
ところで、私はいま便宜的に三位一体と述べましたが、スピリットは、肉体(ボディ)と精神(マインド)を同時に包括しているといった側面を持っており、ボディおよびマインドとは一線を画する要素ともいえます(図)。以下は私見ですが、ボディとマインドが物質としての性質を持つのに対して、スピリットは物質性では説明ができないものです。「精神(マインド)は物質ではないのでは?」と疑問に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、ドーパミン・アドレナリン・セロトニンといった、私たちの心に密接に関わるとされる神経伝達〝物質〞を想定するとわかりやすいかと思います。もちろん全てではありませんが、マインドにはこうした物質としての一面もあるということです。
また、ボディとマインドは「個(パーソナル)」の範疇にとどまるのに対して、スピリットは「個を超えた(トランスパーソナルな)」存在である、ということです。たとえば「大和魂」といった場合には、個を超えた概念を示していることがおわかりいただけるかと思います。

ホリスティックな医療の出発点
現在、高度に専門化・細分化された西洋医学は、ともすると「臓器別医療」、「木を見て森を見ず」と揶揄されることがあります。こうした背景には、デカルト以降主流になった、心と体は別のものであるとみなす心身二元論や、部分を寄せ集めたものが全体であると考える還元主義があります。しかし、心と体は密接に関係していますし、人という存在の総体は、決して部分の寄せ集めではありません。また同時に、私たちは周囲から孤立して存在するのではなく、それをとりまく環境すべてと繋がっている存在でもあります。このような人間存在の全体性を表す言葉として、ホリスティックという用語がありますが、この語源となっているのが、ギリシャ語で「全体」という意味を持つホロスです。ここでもう1つ、このホロスを語源として持つ「ホログラフィック」という用語をご紹介します。これは、「部分が全体の情報を内包する」という性質を意味する言葉で、たとえばホログラフィック宇宙論では、宇宙のどの1点を取っても、そこには宇宙全体の情報すべてが潜在的に存在する、と考えます。そして、私たち人間もこうした性質を本来的に持つ、すなわち、「存在そのものが大宇宙の一部であると同時に、その内部には大宇宙の情報が内包されており、こうした性質を顕す人間存在の本質がスピリットである」とも考えられます。このことは、先の大和魂が日本人の持つ共通の精神を表しつつ、それは私たち一人ひとりにも備わっていることを考えるとわかりやすいでしょう。いずれにしても、このような非物質的な身体構成要素=スピリットの存在を認めることが、全人的な医療=ホリスティック医療の出発点でもあります。
これまで三位一体の健康観について詳しく述べてきたのは、読者の皆さまが改めて健康について考える際のヒントにして頂きたかったからですが、もう1つの理由があります。それは、三位一体の健康観は本連載のテーマであるレジリエンスにも深く関わり、ボディ・マインド・スピリットそれぞれに対してレジリエンスを高める具体的な方法があるため、各論を述べる上では避けて通れない根本概念だからです。
次回は、総論的な内容を補足しながら、現代西洋医学の問題点を心身論の観点から掘り下げたいと思います。
※本記事は「統合医療でがんに克つ」(株式会社クリピュア刊)にて掲載された松村浩道先生執筆の「折れない心身を育む」より許可を得た上で転載しております。
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